2025年2月19日(水)
Ejan新浦安 君塚 広氏・君塚 直子氏
「居場所」が育むもの──評価のない安心から、地域の共創へ
現代社会では、多くの人が「評価されること」に疲れている。学校でも職場でも、成果や効率が求められる中で、自分をそのまま出せる場が少ない。そんななかで求められるのは、“何者であってもいていい”と実感できる居場所だ。そこでは、完成度を問われることも、結果を急かされることもない。ただ「好き」や「興味」を自由に表現できる環境が、人の表現欲求や関係性の種を静かに育てていく。
こうした居場所は、“充電スポット”でもある。人はときに、社会のなかで傷つき、疲弊する。そのとき、無理に励ましたり行動を促したりせず、そっとそばにいてくれる場があれば、人は再び歩き出す力を取り戻せる。一人になりたいときも、誰かと関わりたいときも、その時々の気持ちを尊重される自由な空間が、心の回復の土台となる。
なかでも印象的なのは、「好き」を媒介にしたつながりの力だ。年齢も背景も異なる人同士が、趣味や関心という共通項をきっかけに自然に交わる。上手・下手の評価から離れ、「楽しいから」「夢中になれるから」そこにいる──そんな関係性は、押しつけがましくない温かさと対等さをもたらしてくれる。
その背景には、“余白”を重視した空間設計と関わり方がある。「やらなきゃいけないこと」が詰まっていないからこそ、人は自分のペースを取り戻せる。そして、干渉せずに見守る関係性が、安心と信頼の土壌をつくる。問い詰めず、導かず、ただ一緒にいる。そんな“間合い”が、人と人のつながりを深めていく。
こうした居場所を社会に実装していくには、「ないもの」ではなく「あるもの」に目を向けることが重要だ。使われていない空間、人の得意や経験、小さな関心ごと。それらを丁寧につなぎ直すことで、地域に根ざした場が生まれる。制度に頼らず、自然な担い手の循環が続いていく──居場所は“完成させるもの”ではなく、日々更新されていく“ひらかれた設計”として共につくるものなのだ。