2024年12月18日(水)
NPOキラキラ応援隊 宮田和美氏
認知症と“共に生きる社会”を育てる──5つの視点から見つめ直す
認知症は、一つの病気ではなく、複数の疾患による“状態”の総称だ。記憶障害や混乱、妄想といった症状の背景には、その人なりの理由や感情がある。記憶が薄れても感情は残る──この視点に立つことで、「認知症だから○○できない」ではなく、「認知症でも○○できる」社会の可能性が広がっていく。
その支援の最前線にいるのが、家族である。だが、最も近くにいるからこそ、優しくなれないこともある。理想のケアと現実の葛藤、感情の揺れ──「家族だからこそできない」ことを許される文化が必要だ。支えることに正解を求めすぎず、「一緒に困る」ことを肯定する関係性が、家族を孤立から救う。
また、「もしかして」と思った時に気軽に話せる“相談できるまち”をどうつくるかも重要だ。制度や専門窓口はあっても、情報が届かなければ意味がない。ポストイン広報、さりげない冊子の配置、サロンでの雑談──曖昧な不安を受け止める“ゆるやかな場”が、最初の一歩を支える。
さらに、認知症のある人が“活躍する存在”になれる場づくりも求められる。配膳を手伝う、音楽を楽しむ、聞き上手になる──そうした日常の中の役割が、本人にとっての生きがいとなり、周囲のまなざしを変える。支援されるだけでなく、「関係をつくる担い手」として認知症のある人が輝ける社会へ。
そして最後に大切なのは、こうしたすべての営みを「制度」ではなく「文化」として根づかせることだ。特別な対策ではなく、「当たり前の風景」として、地域に共生の空気を広げていく。制度を超えて、人と人が自然に支え合える土壌──それこそが、“認知症になっても共に生きられるまち”の本当の姿なのだ。