2024年11月20日(水)
田中 清純氏
「わたしらしさ」でつながる社会へ──“理解しようとする”という優しさ
「男の子だから青、女の子だからピンク」──そんな言葉に違和感を覚えたことはないだろうか。私たちは幼い頃から「らしさ」を押しつけられ、知らず知らずのうちに“型”に合わせて生きることを学んできた。でも、本当に大切なのは、その人自身が“わたしらしさ”を選べる自由だ。
性の多様性を語るうえで、「LGBTQ」という言葉が広まり、理解も進んできたように見える。しかし、「ゲイです」と名乗らなければ自分の存在が理解されない社会には、いまだ“違い”を前提にした距離がある。ラベルは便利な一方で、人の複雑さを単純化し、ときに傷つけるものにもなる。だからこそ、「この人はどんな人生を歩んできたのか」という問いを、私たちは忘れてはならない。
当事者であっても、親という立場になると揺れることがある。「子どもがLGBTQだったら、心配が先に立つ」という声は、愛情と不安の交錯を物語る。“理解者”であることと、“受け入れる”ことには、越えるべき段差があるのだ。
こうした揺れにこそ寄り添う場として、学校は大きな可能性を持っている。制服やトイレの問題、教職員の無理解など課題は多いが、子どもたちが“自分らしくいられる関係性”を育む教育の場であってほしい。LGBTQを道徳に押し込めるのではなく、「関係性の教科」として、当たり前に学べる環境が求められている。
そして、制度以上に人の心が支える場所──それが地域だ。浦安市のようにパートナーシップ制度を整える自治体も増えているが、実際の暮らしの中では、「誰かの味方でいてくれる人=アライ」の存在こそが、当事者を支える。完璧に理解しなくてもいい。ただ、「否定しない」「一緒に悩んでくれる」その姿勢が、地域を優しい場所にする。
「わからないけど、わかりたいと思っている」──その気持ちが、誰かの希望になる。わたしたち一人ひとりの“理解しようとする姿勢”が、誰もが自分らしく生きられる社会の土台になるのだ。