第11回 地域×文化遺産


2025年7月16日(水)

合同会社 志事創業社 臼井 清 氏


感性と文化資本がひらく「まち」と「わたし」の関係

 

誰かとつながる第一歩は、「感じること」から始まる。ことばより前に、表情や声のトーン、場の空気が先に伝わることもある。そこには、説明できないけれど確かにある“共鳴”がある。一方で、感じたことをそのまま放つだけでは、すれ違いや誤解も生まれる。だからこそ「なぜそう感じたのか?」を言葉にして共有することが、関係づくりの出発点になる。

 

そのプロセスで生まれるのが「文化資本」だ。アートや音楽、遊びといった感性の表現は、単なる趣味を超えて、人と人のあいだに“まなざし”を育む装置になる。「見る力」は、作品や風景だけでなく、他者の存在を見つめる力でもある。そして「語る力」は、自分の感じたことを伝え、共感や対話を生む力だ。

 

誰もが“表現する主体”になれるまちには、自己紹介が単なる経歴ではなく、「私はこういうものが好き」「こういうふうに世界を見ている」といった感性の共有がある。そこでは、肩書や所属を超えて、文化資本が新しい関係の基盤となる。

 

家庭や世代間でも、文化資本は分岐する。親と子で好きな音楽や美的感覚が異なるのは当たり前だ。その違和感を拒絶するのではなく、違いを語り合えることが「継承」ではなく「共創」につながる。

 

感性は生まれつきのものではなく、育まれるもの。誰かと語り合い、共有し、問い直す中で、私たちの“感じる力”は深まっていく。まちがその場になれたとき、人は“ひとりじゃない”ことを実感できるのだ。