2025年6月18日(水)
100人カイギ運営スタッフ 平田 美双乃 氏
地域は「語り合える距離」にあるか──情報・関係・家族・しくみ・そして対話
地域には、たくさんの支援や活動が存在している。けれど、それが必要な人に届いていないという実感は、子育て中の親や高齢者の声によく表れる。「情報はある。でも、見つけられない」「誰かに聞かないと分からない」。どれだけ制度やサービスが整っていても、それを“翻訳し、手渡す人”がいなければ、つながることはできない。
人と人とのつながりもまた同じだ。「関係をつくろう」と構えるよりも、料理や音楽、雑談といった“なんとなくの時間”のなかで育まれる方が、ずっと自然で、長続きする。無理につながらなくてもよい自由と、ふと誰かに声をかけたくなるような余白。そんな場があることで、地域は息を吹き返す。
一方、最も近い存在である家族の間には、思いがけない壁がある。親は正しさで子を守ろうとし、夫婦は気づかないうちにすれ違っていく。でも、子どもを一人の人として尊重し、夫婦で不安を共有できたとき、関係は少しずつ変わる。対話とは「わかってもらう」ことよりも、「一緒に悩む」ことに意味がある。
こうした関係のあり方は、地域のしくみにも表れる。たとえば自治会などの既存の枠組みに参加しづらい若い世代が、自分の関心や時間に合った関わり方を模索している。そこでは、「所属すること」よりも「関われること」が求められている。テーマやプロジェクトごとの参加、デジタルでのつながり、緩やかな関係性。地域活動の姿もまた、暮らしに合わせて更新される必要がある。
そのすべてを照らし出すのが、対話という営みだ。立場の違う人々が集まり、何かを決めるのではなく、ただ語り、聴く。その中で、地域に散らばっていた思いや葛藤が立ち上がり、見えなかった“断片”が浮かび上がる。誰かの話が、自分の中の言葉になり、また別の誰かの動きにつながっていく。
地域とは、「正しい情報が行き渡る場所」ではなく、「語り合える距離が保たれている場所」なのかもしれない。情報も制度も家族の関係も、そして地域の仕組みも、“話せる”という前提があって初めて動き出す。だからこそ、これからの地域づくりには、語ることをあきらめない場と、その語りを受けとめる関係性が必要なのだ。