*当事者でもお子さんがLGBTだと「あ~」ってなる
*マイノリティーとマジョリティー
*LGPTQの「Q」の多様性
*性表現
*自己紹介の時になぜ「ゲイ」と名乗る必要があるのか
*区分けするのが好き
*ピンク=女子、アオ=男性 はなぜ?
*人の数だけ幸せの形がある(グラデーション、カテゴライズ、マイノリティー)
*当事者であっても我が子が同じ立場になった時、ウェルカムとはなれない
*日本のよくある苗字の方と同じくらい身近にたくさんいる
*LGBTQは複雑なグラデーション
*らしさとは?
*8.9%
*言葉が壁
理解者になるきっかけにはなった。積極的に何かできるわけではないが関わる方がいたら理解者になれるようにしたい。分類が複雑すぎて整理したい。人生全部グラデーションでいいのではないかと思いました。「自分の中にある女性らしさ」が意外とでてこなかった。そもそも「女性らしさ」「男性らしさ」とは何だろうと思った。8.9%は衝撃でした。
僕はこのお話もう5回目ぐらいになる。でも5回目も毎回やっぱ違う衝撃あった。5回目だからこそ、わかることもあった。当事者の方でもお子さんがLGBTだった場合、お前もかあって思うんだな。プロ野球選手の息子がプロ野球選手になるようなことではなく、改めて一緒にしちゃいけないんだと。それとこうやって聞かないと、変わっていかないんだなと思った。
学校で新しい教科としてLGBTQの授業があるといい。国語算数理科社会じゃなく、道徳でひとくくりにするのじゃなくひとつの教科として、小学校から学んでほしい。こういう機会がないと勉強できない社会だと、学校の先生もかわいそう。
最近テレビとか多様性やLGBTが話題になっているが、同時に、クローズアップされて様々な問題が生じている。今後どういうふうに解釈して、どうやっていけばいいのか懸念がある。
福祉大学に通っていたときの友人の男性が女性用トイレを使っていたので通学の途中でいろいろ尋ねたら、女性なのだ。と言われた。私は理解できず、けんか別れしてしまった。学校教育の中でそういうことって、理解されないのだろうなと思います。
自分が地域の中で目指したいことは、理解者になりたい。こういう人がいるんだよっていうことを広めたい。世の中にはたくさんいろんな人がいるから差別をなくしたいなって思います。私はゲイですって自己紹介する必要なんて全然ないと思うけど、それを言わざるを得ない社会にちょっと怒りを感じました。
私もマイノリティーの意識が高いので、やはりグラデーションだと思う。セクシュアリティって考えたときの私はあんまり女性っぽくないだろう思うので、カテゴライズする必要がない。マイノリティーだから、こうっていう話ではなく、この人の話だから聞くとか、この人が好きだなとか、やっぱり人だと思うんですよね。
当事者であっても我が子のことはウェルカムとはならないというのは、苦労とかいろんなことを知っているからだなと思った。っていうふうにマジョリティーにウェルカムたらなとはいえ別ですよねだから自分のこととは別なのだなっていうふうに思った。
私の価値観としては、相手の性別とか関係ないし、本当に大切な人と幸せになってくれればいい。それは母親の立場と父親の立場でも違う。母親は、自分が生んでいるからなのだっていい。