第1回 地域×通いの場


通いの場が“生きる場所”になるために

 

高齢者の「通いの場」は、ただ健康づくりや見守りの場として存在するだけでは、その力を発揮しきれません。本当に価値のある場とは、「来る理由」があり、「続けたくなる意味」がある場所です。誰かと過ごす時間に自分の役割や存在意義を感じられること――それが、“生きる場”としての通いの場の本質です。

 

成功している場には共通点があります。参加者が受け身ではなく、自分のやりたいことを語り、仲間と動いている。日常の延長線上にある農作業やおしゃべり、お茶出しといった等身大の営みが、自然と人と人をつなげていきます。「してもらう」のではなく、「一緒に何かをする」関係が、場に血を通わせているのです。

 

しかし、定型的なプログラムばかりが続くと、参加者は「何かをしてもらう人」になりがちです。創造性が失われ、場は次第にサービス提供の空間へと変質します。大切なのは、少しの余白と対話の時間。「何をしたいですか?」と聞くだけではなく、語りたくなるような関係づくりが問われています。

 

また、「嫌わればあちゃん」が来る場には、真の公共性があります。多少面倒な人も、価値観が合わない人も、来られる自由があること。その多様性こそが、通いの場の懐の深さを示しています。人を完璧に整えるより、違いを受け入れながら関わることが、豊かな人間関係を育てるのです。

 

気をつけたいのは、“良すぎる居心地”の落とし穴です。頼りになるリーダーが一人ですべてを担うと、場が固定化され、新しい人が入りにくくなります。大切なのは、任せて、待って、見守ること。誰もが少しだけ関われる“余白”が、場の風通しをよくし、継続可能性を高めます。

 

定年後の時間が持て余され、生きる意欲がすり減っていくなかで、「また行きたい」と思える場があることは、何よりも大きな支えになります。時間をただ過ごすのではなく、誰かと分かち合うこと。その営みの中に、「今日も生きている」実感が宿るのです。